Facebook今さらではありますが。

アメリカではついにGoogleをも超えるアクセス数を記録したというSNS、ソーシャル・ネットワーク・サービスのFacebookですが、題材となった映画「ソーシャル・ネットワーク」が日本でも半年ほど前に公開されたおかげで知名度も上がったのではないかと思いますが、私の身の回りでもここ最近急に活気を帯びてきました。特に、中学時代の同級生のAさんがグループを作ったことがきっかけで同級生同士が繋がるようになり、また積極的にFacebookへの登録を促したこともあって盛り上がってきています。つい先日東京ではFacebook上での再会をきっかけに数人が集まるということにもなりました。

これまでに星の数ほど生まれては消えていったSNSとFacebookはいったい何が違うのでしょうか。よく言われるのはFacebookが本名での登録を原則としているということですが、それは何を意味していて、どういう効果を生み出しているのでしょうか。

日本人の多くはインターネット上に本名を晒すということに抵抗を感じるらしく、これが日本での普及が諸外国ほど進まないということに繋がっているようですが、これは誰が創り上げたのか「ネット」=「バーチャル空間」というようなおかしな認識から来ているのではないでしょうか。実際には本名だろうが仮名・匿名だろうがネットワーク上での人間同士の関係は決して仮想的なものなどではなく人間関係そのものであるはずです。仮名や匿名だからといって自分の発言に責任を持たないでいいということにはならないはずで、実際に2ちゃんねるなどで名誉毀損で訴えられたり、mixiの日記に書いたことが大騒ぎになったりということはもう珍しいことではありません。たとえ本名でも人前で口にすべきでないようなことを書かなければ良いだけではないでしょうか。

本名で登録することによって、Facebookでのネットワークが実社会でのネットワークと連続なものとなり、実生活上の通信を補完するものになるのです。本名でないと実社会とは別個のネットワークが出来てしまうことになり、もともとFacebookが実現しようとしていた登録者同士のネットワークづくりを強化するようなものとはならなくなってしまうのです。

私にはFacebookよりもmixiのようなものの方が「好き」という人の気持ちが全く理解できなかったのですが、ある人に教えていただいたのはFacebookが本名での登録を強制し、本名でないアカウントを停止するような処置を下しているのが横暴だと感じるとのことでした。私にしてみれば、本名で登録するように言われているのにそれに従わなければそういう処置も仕方が無く、それが嫌なら登録しなければ良いのではないかと思うところですが、人によって感じ方が違うというのもまた仕方ないかもしれません。まあ本名そのものを個人情報だという人もいるくらいですから、様々ですね。

それはともかく、自分のプロフィールに登録した各項目を公開する範囲はある程度細かく設定でき、「友達」以外には知られたくない情報が漏れてしまうということもないでしょう。ただ一つ問題があるとすれば、「友達の友達はみんな友達」というどこかで聞いたフレーズのごとく、「友達」は全て一括りになってしまいその「友達」同士は筒抜けとなってしまうことなのですが、実はこれが…