白湯深い意味はありません。

夜遅くに余計なものを食べてしまわないように、早めに歯磨きをしてしまうというのは私だけではないと思いますが、その後コーヒーやお茶も飲めなくなってしまうので、まだしばらく起きているというときはちょっと躊躇してしまいます。そうすると自分に甘い私は結局ついつい何かを口に入れてしまうということになってしまいます。とは言っても2時間以上の間何も飲まないとどうしても喉が渇きます。

ということで一昨日、試しに「白湯」を飲んでみることにしました。というとすっかり爺さんのようですが、それが案外悪くないのです。ティーバッグの紅茶を飲んだとき、たった1回淹れただけで捨ててしまうのがなんだかもったいなくて、もう一度使うというケチくさいことをしてしまうことがありますが、その時のうす~い紅茶と大して違わないことに気付くと、これはこれで悪くないという気になってしまいました。

実は「白湯」と書いて「さゆ」と読むというのは結構最近知ったことだったりします。「さゆ」という言葉は知っていたのだけれど、それと「白湯」が一致しなかったということなのですが、そもそもこれまで生活してきて飲み物としての白湯に触れることがほぼ無かったのだから仕方ありません。それがなぜ急に飲んでみることを思いついたかというと、先日観た映画「沈黙 -サイレンス-」で井上筑後守が美味しそうに飲んでいたのがなぜかとても印象深かったためです。清貧を尊ぶ武士とはいえ、あれほどの地位にある人でも白湯を飲むのだということが意外だったのだと思います。

「白湯」で検索すると「健康に良い」とか「ダイエットになる」とかいう記事がたくさん出てきますが、私はそのようなことには興味がない、というか信じていません。そのような記事でセットになっているのが「毒素を排出」「デトックス」というキーワードですが、白湯を飲むだけでそんな効果があるのだとしたらコーヒーや紅茶でも同じような効果が少なからずあるはずで、ことさら白湯だけ取り上げるのはおかしいでしょう。中には「白湯の作り方」を紹介しているものもあって、どこまで真剣にやっているのかと逆におかしくなります。「白湯は、通常の水よりも体内に吸収されやすい」とか何を言っているのでしょうか。通常の水が吸収されないのだとしたら、お腹がゆるくなるということでしょうか。「飲みすぎると腎臓の負担になってしまう」というのは水中毒のことでしょうか。

まあ常識的な量であれば問題ないはずで、私が飲むのはマグカップ1杯のコーヒーの代わりに白湯を飲むというだけなので、良いにつけ悪いにつけ健康への影響はほぼないでしょう。ただ単に飲み物として飲む、それだけのことです。