本来は各個人が判断すべきことではないでしょうか。

以前から日本で「マナー」というものが履き違えられているような風潮が私は非常に気に入りませんでした。電車の中で携帯電話で話をしてはいけない、エスカレーターで歩かない人は地方によって右側か左側かに寄る、「飛行機の短い昼間のフライトではリクライニングシートを倒してはいけない」なんていうものもあるそうです。これらはどれも最近生まれたものであることは間違いありませんが、一体いつ誰が決めたのでしょうか。

もともと「マナー」という言葉は「行儀・作法」を指す言葉で、テーブルマナーや各種のしきたりのようなものを表していたのではないでしょうか。しかし、上で例に上げたものはどれも意味合いが異なるように思います。電車内での携帯電話については、本当は乗客同士が直接喋るよりうるさいということはないはずなのに、傍で聞いていると話の内容がわからないためにイライラする、というのが問題のはずで、要するに立ち聞きしなければ迷惑でもなんでもないはずなのです。また、エスカレーターについては、メーカーがやめてくれと言っているにも関わらず片側しか使わないことで、無駄に行列が伸びているのが本当にバカバカしいと思います。リクライニングの件は「短い」の判断基準が不明なのと、昼間でも疲れて眠いということはあるはずで、そもそも飛行機の背もたれなんてほんのわずかしか傾かないはずなのでくだらないことに思えてしまいます。

だいたいマナーというのは相手を気遣って自然に振る舞えることであるはずで、それをルールやマニュアルにしてしまい、誰かが決めた「マナー」に従うことが正しくて従わない人は悪い、と決めつけてしまうようなものは本来のマナーとは違うでしょう。電車の中では迷惑にならないように小声で通話すれば良いでしょうし、エスカレーターは立ち止まって乗るものなので混んでいる時に急ぐなら階段を駆け上がるべき、リクライニングシートは後ろに座っている人に迷惑になりそうなら一声かける、というように互いに気遣えば良いことです。

なぜ突然こんな話をするのかといえば、エキレビに「『了解/承知』どっちが正しいとか愚問だからもうやめませんか」という記事が掲載されているのを目にしたためです。私もちょっと前に「『了解』を目上の人に使うのは失礼」ということを聞いて気にしてはいたのですが、これが真っ赤なウソ、デマであったというのです。経緯については「『了解しました』より『承知しました』が適切とされる理由と、その普及過程について」という2016年の別のブログ記事で詳しく述べられているのですが、メール作法などの本を書いているライターの神垣あゆみという人が「『了解しました』よりも『承知しました』の方が『感じが良い』から」という個人的な感情に基づく、とんでもない勝手な理由で自身の著書でマナーとして紹介したというのです。

これは本当にひどいことではないでしょうか。本来失礼でもなんでもなく、受け取った人もこの「マナー」を知らなければなんの違和感も持たなかったはずなのに、これのせいで不愉快に感じてしまうということもあるでしょう。またこの間違った「マナー」について「この差って何ですか?」というテレビ番組で紹介したそうで、その理由について次のように説明しています。

「了=終わらせる」、「解=理解するとなり」、「了解しました」には話を理解して終わらせるという意味がある。終わらせる権限があるのは「目上の人」だから、「了解しました」は「目上の人」が「目下の人」に使う言葉。「承」は、「承る=聞くの謙譲語」で、自分を下げる言葉であるため、「目下の人」が「目上の人」に使うのが正しい。

こんなひどい話があるでしょうか。エキレビにも書かれているとおりですが、ある漢字に複数の意味があることは小学校で教わることですし、日本語の熟語というのはそれぞれの漢字に分解するだけで説明できるような単純なものではありません。「了」という字が終了の了だからといって「終わらせる」だなんて、子供でもしないようななんと子供っぽい理屈でしょうか。

エキレビでは他にも問題点が述べられていますが、そのどれもがまったくもっともな話で、私は完全に同意します。マナーというのは人に押し付けるものではありませんし、それに縛られて窮屈な思いをすべきものでもないでしょう。