羽田発伊丹行JAL123便が500人以上の乗客を乗せたまま御巣鷹の尾根に墜落し、生存者はわずか4名という痛ましい事故からちょうど20年が経ち、墜落現場などで慰霊式典などが執り行われ、ニュースや特集番組などでも取り上げられています。この事故が起こったとき、私はちょうど家族でスイスに旅行中だったのですが、居合わせた他の日本人観光客が現地の新聞のトップに踊る「JAL機墜落」の見出しを見て怯えていたのが印象に残っています。

事故の原因については未だ解明できていない部分も多いようで、再発防止のために徹底した対策ができているというような状況でもないようなのが少々不安ですが、今日も沢山の飛行機が空を飛び続けています。アメリカなどであれば事故調査費用として数十億円規模の補正予算が組まれ徹底的に調査されるということなのですが、日本の運輸省(当時)ではこの事故のような重大なケースでもわずか2億円にとどまっているとのことで、これでは十分な調査など望むことはできません。ここにも硬直化した日本の予算体系の弊害が見られます。

ところで、事故が起こったのはJAL123便だけではありませんし、飛行機事故以外でも不慮の死に逢ってしまった人は数多くいるのに、この事故ばかりが大きく取り上げられているのは不公平であり、その遺族らにとっては無念ではないでしょうか。一人一人の犠牲者にとっては事故の規模などは無関係であり、犠牲者数が多いからといってことさら重視するのは問題があるようにも思います。もちろん再発防止という観点から見れば重大事故を防ぐことで確率的にも安全の度合いは増しますが、悼むだけならば単にパフォーマンスとして効率的というだけではないかと思ってしまいます。

特に今回のような式典を行うべきでない、というつもりはないのですが、一年365日、過去に死亡事故の起こらなかった日はないでしょうから、むしろ毎日何かしらの悼みを捧げる場があってもいいのではないかと思うわけです。「そんなことは勝手に一人でやっていろ」というような意見も尤もで、毎日仏壇なり神棚なりに祈りを捧げる習慣があればそれで十分かもしれません。要は個人の気持ちも問題なのですから、他人がとやかくいうことではありませんね。