死刑というのは国家による殺人なのか。

13階段。処刑台、特に絞首台を意味する俗語だそうで、東京裁判A級戦犯7名が絞首刑に処せられた頃には普及していたようですが、私はこれまで聞いたことがなく知らずにいました。処刑台に上る階段が13段あるから、というのがもちろんその語源ですが、実際に日本の処刑台の階段は13段もないようです。きっと「13」という数字の(キリスト教世界での)不吉なイメージを引用して、処刑台の死のイメージに重ね合わせているのでしょう。

ところで、そんな不吉な「13階段」というタイトルの本が面白いから、と妻が友人に聞いて読んでみたところ「すごく面白かった」と言うので、私もそのまま妻の後に読んでみました。この作品は第47回江戸川乱歩賞受賞作なのですが、妻は「他の受賞作も全部読んでみたい」となかなかの意気込みです。

13階段
著:高野 和明
講談社 (2001/08)
ISBN/ASIN:4062108569

この作品はタイトル通り「死刑」に様々な立場で関わる人々が登場するミステリー作品です。主人公は死刑執行経験のある刑務官と、絡んできた相手をふりほどいたところ相手が頭を打って死んでしまったことで懲役2年の刑を受け仮出所中の青年です。ミステリーの主人公としてはかなり異色の2人ですが、この設定も非常に深い意味があるものです。

また刑務所内部や死刑執行の手続き、執行場面などの描写は非常に緻密で、普通の人は普段なかなか知ることのない、まさに知られざる世界を垣間見ることになります。最近は先進諸国の間で死刑制度の廃止が進み、日本でも廃止についての論議が交わされたりしていますが、こういうフィクション作品からでも生々しい事実を知ると軽々しく「存続が必要」とも「廃止すべき」とも言えなくなってしまいます。犯罪被害者の立場からすれば自らの手による仇討ちができない以上、国家の手による代理の執行が必要ということになりますが、一方で冤罪による間違った執行で不要な殺人が行われてしまう危険性をはらんでいるわけです。

しかし、ちょっと話は逸れますが、自らの個人的な宗教的信念を理由に死刑執行命令書への署名を拒否する法務大臣というのは許されるべきではありません。命令書が法務大臣の元に届くまでには様々なプロセスを経て何人もの人々があらゆる角度から執行の妥当性を検証してきているわけで、それを最終的な決裁の段階で個人の勝手な事情で反故にしてしまうというのは、法治国家の、法を司る立場のトップに立つ者としてはかなり矛盾しているのではないでしょうか。法務大臣を拝命した以上、粛々と、自らの職責を全うしなければなりません。

また、死刑制度廃止論者が執行を非難するのもまたちょっと違うのではないかという気がしています。法律に基づいて裁判で決められた量刑なのですから、刑を執行する立場の人はそれに従わざるを得ません。また検察や裁判所としても、極刑の下は無期懲役になってしまいますのでこの落差は大きく、無期では軽すぎるという判断になれば死刑を求刑し、判決を下さざるを得ないのです。無期懲役というと一生出てこられないようなイメージがありますが、「無期」というのは期間が決まっていないというだけなので、実際には多くの場合十数年で仮出所し、社会に出てこられるのです。

私が支持するのは、終身刑を設定した上での死刑の廃止です。死刑の場合は執行された後で仮に冤罪だとわかったとしても取り返しのつかないことになってしまっているわけですが、終身刑であればそういう問題もありません。死刑を廃止するだけでは最高刑が軽すぎますが、終身刑であれば一生かけて罪を償うという意味でもいいのではないでしょうか。

ということで色々と死刑制度について考えさせられてしまう作品なのですが、ミステリーとしても非常に複雑な展開があって楽しめるものになっています。まあ、テーマが非常に重いので作品も全体的に重苦しい雰囲気に包まれてしまっているのですが、巻末に沢山の参考文献が列挙されているのを見てもわかる通り、綿密な調査に裏打ちされた非常にリアリティのある描写で淡々と描かれています。中途半端な姿勢では臨めないテーマですから、いい加減な内容では許されないということでしょう。