Fátima教皇といえどもやはり人の子ということ…

キリスト教と縁のない人には全く信じがたい話でしょうが、カトリックの世界では聖母の出現というものが何百年も昔から度々、教会公認のものだけでも10例以上に上り存在し、聖母マリアが姿を現しメッセージを残しているとされています。そのうちの一つで有名なものがファティマの聖母と言われるもので、1916年にポルトガルの田舎町ファティマで3人の子供の前にマリアが現れ、3つのメッセージを伝えたというものです。このメッセージは教皇に伝えられ、その内容は長らく秘密とされていましたが、2000年になって全てのメッセージが公開されています。ただし、この預言の解釈に様々な疑問や憶測を感じる者もあり、またそもそも聖母の出現自体が非科学的なものであるということもあり、未だミステリアスなものとなっているようです。今回読んだSteve Berry著「ファティマ第三の預言」という本はそのタイトル通りこのファティマの聖母が伝えた第三のメッセージをめぐる物語でした。

ファティマ 第三の予言
著:スティーブ・ベリー , 他
エンターブレイン (2007/02/28)
ISBN/ASIN:4757734573

この本の主な舞台となっているのはカトリック教会の総本山たるバチカンです。「キリスト教」と一口に言っても様々な宗派があり、それぞれの教義や流儀を持っていて色々な部分で大きく異なっているわけですが、この本の内容に大きく関連するところでカトリックに特徴的なところというのは司祭が独身を誓っているということで、これは他の宗派にはない特徴的なところだと思います。外から見ていると全く理解できないことですが、長い歴史の中で決められたことですから、よそ者がとやかく言うことではないというのは間違いありません。しかし、冒頭から触れられているこれこそが、本書のメインテーマなのです。

またこの本では、教皇庁内部での地位をめぐる実に汚らしい政治的駆け引きや陰謀というものが描かれていて、教会としては好ましからざる内容なのではないかと、フィクションであるにしてもよく出版が許されたなというようなものになっています。まあ聖職者といえども人の子ですし、教皇ともなれば全世界の10億人ともいわれるカトリック教徒の頂点に立とうという人ですからそれ相応の野心がなければそこまで登りつめることはできないのかもしれません。

というとなんだか教会を敵に回しているかのようですが、最終的には逆に信者でない読者でも神の存在を信じてしまいそうになるような内容となっており、私は宗教というものの奥の深さのようなものを感じてしまいました。私自身は無神論者とか無宗教というのではなく、宗教に関してかなり醒めた考え方をしていると思うのですが、現実に現代の教会も認めている「ファティマの聖母」のような奇跡があるというのはどう受け止めるべきか整理ができないところです。バカバカしいと一笑に付すのは簡単なことですが…

最近ダ・ヴィンチ・コードに始まりキリスト教に関連するDan Brown作品などをいくつか読んでから、キリスト教世界の歴史を背景にしたような話が面白く感じられるようになってきました。もともと年号の暗記ばかりを強いられる中学校の授業以来、歴史というものには全く興味を持てずにいたのですが、歴史の面白さというのは時間という縦の流れと国や場所という横の繋がりが複雑に絡み合うところにあるということに気付いたのはつい最近のことです。中でもキリスト教というのは西欧文明に深く根ざしたものであり、長く波乱に満ちたものであるだけに面白いのではないかと思いますが、今からでもこうして歴史の楽しみ方の一つがわかってきたのは幸運だったかもしれません。