自分の浅はかさを思い知る。
今年5月に日本でも裁判員制度が始まりましたが、最近は毎週のように裁判員制度の下に行われた裁判に関する記事が新聞紙上に見られるようになってきました。この制度自体の是非についても色々議論はあるところですが、少々気になるのは目にする事件のほとんどが凶悪なもので、死刑か無期懲役かというようなものばかりだということです。センセーショナリズムに走りがちなマスメディアのことなので、派手な事件でないと報じないということはもちろんあるのでしょうが、自分が裁判員に選ばれてしまったときのことを考えると、荷が重いというのが正直なところではないでしょうか。
法に定められたこととはいえ、人の生命を奪う決断をするということは容易ならざることです。一方で無期懲役ではある程度の期間で仮釈放されてしまうという話もあり、その違いは非常に大きなものです。そういうこともあって、死刑と無期懲役の間に「仮釈放無しの終身刑」を作ろうという動きがあります。また、この動きには死刑廃止を目指す人々が死刑に代わる最高刑としようと加わっており、複雑な状況となっているようです。この問題について書かれた「終身刑の死角」という本を読んでみたのですが、非常にわかりやすくためになるものでした。
この本が素晴らしいのは、法学者らしくデータに基づき現状を説明しているため、非常に説得力があるところです。その上で述べられているのは、日本の治安は特に悪化してはおらず、凶悪事件が増加しているわけでもないということです。マスコミの論調を鵜呑みにするととてもそうは思えませんが、データは如実に物語っています。
その後の章では日本の刑務所と受刑者の実情、死刑制度と無期刑囚の実態、そして終身刑を導入した場合の問題点…といった具合に様々な角度から終身刑について述べていますが、いずれも冷静な分析と判断に基づいたものであり説得力があります。刑務所内のことについてはなかなか身近なものとは捉えにくいものですし、またベールに包まれた世界でもあるため、知られざる世界を垣間見るという意味でも興味深いものです。
私自身もこれまであまり深く考えずに終身刑を導入した方がいいのではないかと考えていましたが、この本を読んで考えを改めることになりました。終身刑は様々な問題を抱えるものだということがわかりましたが、特に大きいと感じたのは終身刑囚には「アメもムチも通用しない」ということです。
普通、制度上のものだけであったとしても死刑囚以外の収監舎には仮釈放の可能性が与えられており、模範的な服役態度でいることによってその可能性を高めることができます。また一方で何らかの問題を起こした場合には厳罰化、つまり刑期の延長などが考えられますが、終身刑の上にある刑罰は死刑だけであり、さすがに刑務所内でどんな問題を起こしたとしても死刑に処せられるほどのことはあり得ません。となると、仮釈放無しの終身刑を科せられてしまった場合にはおとなしくしていることによるメリットも、問題を起こすことによるデメリットもないことになってしまうというわけです。これでは刑務所内が大変なことになってしまうというのは説得力のある話ではないでしょうか。
この他にも日本の刑務所事情をめぐる色々な話があり、非常に興味深く読むことができました。私達は普通、自分が刑務所に入れられることになるとか死刑になるというようなことは想像もせず過ごしており、全く実感のないまま「死刑反対」などと言っているわけですが、そういった「世論」によって人生を左右されてしまう人もいることを考え、責任を持った主張をできるようになりたいものです。裁判員制度の導入がそのきっかけになるのだとしたら、あながち悪いことばかりでもないかもしれません。