13「用件を聞こうか」

日常生活の中で「縁起を担ぐ」というのは多かれ少なかれ誰にでもある普通のことでしょう。何かを選択しなければならないとき、意識的にであったり無意識であったりはするかもしれませんが、何らかの基準に基づいて選ぶことになるわけですが、どちらでも特に問題ないような場合には多少強引にでも理由をつける必要があります。そういう時に便利なのが縁起担ぎというものなのではないでしょうか。

縁起担ぎの中でも多いのは数字に関するものでしょう。日本で言えば音から「死」や「苦」を連想する4や9をはじめ、語呂合わせで意味を持たせたり、「末広がり」の8を好んだりと、ささいなことながらもそれなりに理由がはっきりしているような気がします。しかし、西洋のキリスト教社会を中心に忌避されている13という数字について、それがなぜ避けられるのかははっきりしないのだそうです。この13の謎について研究された「13 – 誰でも知ってる『不吉な13』の誰も知らない本当の話」という本が目に止まってしまったので読んでみました。

13
翻訳:早野 依子
ダイヤモンド社 (2005/11/18)
ISBN/ASIN:4478930686

欧米の建物には13階が無かったり、13号室や13番地が無かったりといろいろなところで13が欠番になっているというのは有名なことで、日本でも欧米人の宿泊が多いホテルなどは13号室が無かったりすることがあります。でもどうして13が避けられているのか、誰にも分からないというのだから面白いものです。

よく言われるのはキリストの最後の晩餐、イエス・キリストが十字架につけられる前に12人の弟子たちと摂った食事の時、テーブルには13人がいたからだ、というものです。しかし、それもちょっと考えればわかることですが、非常におかしな話です。この晩餐のだいぶ前からキリストには12人の弟子がいて、あわせて13人の状態がずっとつづいていたわけで、最後の晩餐の時に初めて13人揃ったというようなことは言われていないわけです。まあ、キリストの弟子は12人だけというわけではありませんから、ひょっとしたらそういうことがあってもおかしくはありませんが、もしそれがが理由なのだとしたらそれが伝わっていないわけがありません。

まあそれはどうでもいいのですが、それなら一体何が元になっているのか、この本ではいろいろ述べられているのですが、結局答えははっきりしないようです。また、実は13が不吉な数であると自分で信じている人はほとんどいないのではないかとも思われます。ホテルなどが13を避けるのも、「13を嫌がる人がいるかも知れないから」という実に消極的なものですが、営業的には当然とも言えることです。

それにしても、この本を読んでいるうちに私は「13なんてたかが数の一つでしかないのにそれを避けるだなんてバカバカしい」と思えてきたわけですが、それと同時に「そんなバカバカしいことでもそれをテーマに色々調べれば本が書けるのだ」ということに改めて気づき、自分もそういう目の付けどころを見つけるセンスを養わなければと思ったのでした。