1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災から今日でちょうど30年となりました。私が会社に入った最初の年のことで、社員寮の6畳間で二人部屋という生活をしていたので、地震が来たときに同室だった友人が飛び起きて慌てていたのを思い出します。兵庫県内とはいえ被害の大きかった神戸市中心部からは70kmほどの距離があるので、姫路では震度4ということで目に見える被害はほとんどありませんでした。
しかしその後すぐにテレビを付け、空が明るくなってくるにつれて明らかになってくる神戸の被害状況を見て、ただごとではないということがわかりました。特に阪神高速道路の高架部分が横倒しになってしまっていたり、ビルの途中階がまるごと潰れてしまったりといった映像はかなりの衝撃でした。
その後しばらくは復旧のじゃまにならないようにと、同じ県内ではありましたが神戸市内へ足を踏み入れることは自粛していました。ボランティア活動で直接的な支援ができれば良かったのですが、当時の私にはどうするべきかの判断ができず、また今のようにインターネットも普及していなかったので積極的に収集しようとしなければ情報を得ることも容易ではありませんでした。まあこれは何を言っても言い訳にしかなりませんし、最近の他の震災でも何かしたかと言っても義援金を送ったくらいです。
また、交通網も暫くの間麻痺していて、姫路から東へ行くためには神戸付近を大きく迂回して山陰本線などを経由する必要があり、出張者などが苦労していたのも思い出します。それも今ならオンライン会議などで済むことですが、当然そんなものはなかったので大変な思いをしながらでも行き来するしかなかったわけです。被災地の状況は常に気になっていましたが、自分たちの経済活動を止めるわけにもいかず、難しいものです。
私にとってはこの程度の影響だったので、ご親族が亡くなった方や怪我をされた方、住居を失ったりして経済的に大きな被害を受けた方などの心情を本当に理解することはできず、想像することしかできませんが、実際に身に降り掛かってみるとその想像など及ばないほど大変なことなのではないでしょうか。その後も東日本大震災や一年前の能登半島地震など、大規模な震災が日本各地を襲っており、次は自分の番かもしれないというのは考えすぎではないはずです。にも関わらず私は防災グッズなどの備えがほとんどできておらず、このままではいけないとは思うのですが…今度こそ、この30周年を機会に備えていきたいと思います。