私は毎日様々なポッドキャストを聞きながらウォーキングをしているので、歩きながらそれぞれ取り上げられるトピックに関連して色々考えてしまいます。先日は最近聞き始めた「りっちゃ・りょかちのやいやいラジオ」というポッドキャストの「#244 名は体を表す、のか?」という回で選択的夫婦別姓の話から、自分の苗字へのこだわりなどについて語られているのを聞いて、自分の場合について考えていました。

夫婦別姓については私も当然認められるべきものと思っていて、反対する人の気持がまったく理解できません。日本の伝統的文化が云々という人がいるようですが、それはその人自身が同姓にすればいいだけの話であって、それを他の人にまで求めるのは価値観の押しつけというものであり、これは私が最も嫌うものです。

しかし、私自身は自分の姓、名字というものにまったくこだわりがありません。これは私の名字が日本で2番目に多いとされているものであり、特に自分が育った関東地方では学校の1クラスに1人くらいいるものだったので、自然とほとんどの場合に下の名前で呼ばれてきたからというのが大きいと思います。就職して西日本に来てから急に名字で呼ばれるようになったので、むしろ自分が呼ばれていると気づかないことがあるくらいでした。

そんな感じなので、ちょっと珍しい名字の人がとても羨ましく思えて、自分が結婚するときにも婿養子とかでなくても妻となる人の名字に変えたいくらいでした。実際には結局そういう話にはならず、自分の姓で戸籍を作ることになりましたが、今でも自分の名字には全くと言っていいほどこだわりがありません。

だから夫婦別姓については、それを強く求める人の気持ちも本当には理解できていないのですが、自分には反対する理由もないので選択の自由を認めるべき、というような立場です。既存の行政システムの改修などでそれなりの費用が発生するのかもしれませんが、そんなものどんどんやって雇用を生み出して、多少でも景気を後押しすればいいのではないでしょうか。