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「ウナギは食べていいのか」って?

だいたいワシントン条約で規制されているものを食べるなんてどうかしていませんか。

アレルギーで食べられないという方は除くとして、日本人でうなぎの蒲焼が嫌いだという人はそうそういないのではないでしょうか。実は私は海外で冷凍だか真空パックだかの美味しくないものを食べていたせいで子供の頃は嫌いだったのですが、帰国後に美味しいものを食べてからは「これが本当のうなぎか」と好物の一つになりました。現在では別に土用の丑の日でなくとも食べたいと思いますが、今は食べるべき時ではないでしょう。

それはもちろん言うまでもなく、ニホンウナギが国際自然保護連合の絶滅危惧種に指定され、まさに種の存続の危機に瀕しているからです。環境省のレッドリスト2017でも同じく絶滅危惧IB類(EN)に指定されており、「IA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの」とされています。IA類(CR)とは「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」というものなので、IB類はまだ多少の猶予はあるけれども積極的な保護が必要とされていることは間違いないでしょう。

今年はじめには「ウナギ稚魚、極度の不漁=過去最低更新の恐れ」と報道されました。鹿児島では漁獲高が前年同期の1%程度、などとされていますが、私にしてみれば「まだ獲っていたのか」というような驚きです。「養殖業者らは危機感を強めている。」なんて言っている場合ではないでしょう。いえ、このまま進めばシラスウナギの絶滅は間近ですから、産業としてのウナギ漁と養殖も成り立たなくなることは間違いなく、その点に関して危機感を強めていただいて、どうすればこれまで通りウナギが穫れる状態に戻せるのか真剣に考えてもらわなければなりません。

私がどうしてこんな記事を急に書くのかといえば、ITmediaのねとらぼに「結局“絶滅危惧種”ウナギは食べていいのか 水産庁と日本自然保護協会に聞いてみた」という記事が掲載され話題となっているためです。記事のタイトル通り、素直に水産庁と日本自然保護協会に質問してみたところ、全く正反対の回答が得られたということです。「消費者が購入を控えることに意味はありますか」という質問に対して「あまり意味はないと思います。」と回答してしまっていますが、「水産物は持続的に利用してくことが重要」という文言からも分かる通り、ウナギをあくまで水産物としてしか考えていないのです。結局のところ、水産庁というのは漁業関係者の利益を代表している役所なので、これはこの役所の立場としては正しい回答なのかもしれませんが、これを一般市民が聞けば単純に「ああ、食べてよかったのか」となってしまうでしょう。

まあ単に聞く相手が違えば答えも違うというだけの話で、「ウナギを絶滅させてはならない」という前提であれば環境省に聞くべき質問であり、水産庁に聞けばこういう回答になるのは仕方のないことです。質問を変えれば「ウナギを絶滅させるべきか、それともウナギ漁とうなぎ料理を絶やすべきか」ということになり、いずれにしても滅びるしかない食文化なのであればニホンウナギという種を犠牲にして守ったところで意味は無いわけで、他の魚などで代用するか、そうでなければ廃業・業種転換でもするしかないのではないでしょうか。いま水産庁としてすべきことは、そのサポートなのではないかと思います。

そして我々がすべきことは、天然/養殖、国産/中国産などにかかわらず、うなぎを食べることを諦めることです。

プレミアムフライデー

ロゴは「自由に使える」と言いながら申請して承認されないと使えないので自粛します。

昨年は某社で新人社員が長時間労働の挙句自殺したというのが大きな話題になりましたが、首相官邸が「働き方改革」なるものを掲げるのはその影響でしょうか。私の勤務先でも社長がいち早く取り組むことを公表し、いろいろなところにその影響が現れてきています。最たるものは水曜日と金曜日は残業禁止、その他の平日は夜10時以降の勤務を禁止する、というものです。一応事前に申請すれば許可されるので、やむを得ない場合には認められますし、それが常態化してしまっている人もいるのではないかと思われますが、社長命令ということで結構厳しく管理されているので水金はみな早く帰るようになったのではないかと思います。なお私はめったに10時まで残っていないので、そちらがどうなっているのかはよく知りません。

そしてまた官邸が新たに言い出したのが「プレミアムフライデー」なるものですね。毎月最後の金曜日は仕事を早く切り上げて充実した週末を過ごそう、というようなものです。さすがにこれは難しいだろうなあと思っていたのですが、先日とうとう人事部門からメールで通達がやって来て、半日休暇などを利用して早く帰宅することを「推奨する」とのことです。しかし「これはあくまで『推奨』であって強制ではない」などとわざわざ言うあたりがなんともアレですが、きっとあちこちから問い合わせがあったのでしょう。

しかしこのような政策や会社の施策も絵に描いた餅、絵空事ではないかと思えてなりません。もともと私の勤務先にはフレックスタイム制度がありますし、裁量労働制も導入されているのでそもそも業務負荷に応じてある程度勤務時間は自由に設定できるはずです。なかなかそれができないのでこうした呼びかけが行われるということなのでしょうが、実際にはあまり自由にされると会議ができないとか、工場もあるので勤務時間が自由でない現場勤務の人たちが不満を感じるだとか、おかしな理由でフレックスタイムも自由に使えない状況なのです。前者は会議があるなら業務なのだからそれを優先すれば済むことですし、後者はそうした勤務形態を選択したのは現場の人自身なのだから言わせておけばいいことではないでしょうか。

…勢いでちょっと言い過ぎたかもしれませんが、本当は日本の企業文化に問題があるのだと思っています。アメリカでの数年の勤務で実感したことですが、日本の企業(と一般化してよいのかわかりませんが、少なくとも私の勤務先)では負荷100%を前提に人員配置が行われていて、少しでも余裕のある人がいるとサボっているとみなされたり、暇だと思われて新しい仕事を押し付けられたりしてしまいます。そんな状況では少しでも予定外のことが起これば残業して対応せざるを得ませんし、もっと突発的なことがあれば深夜までということになってしまいます。それが常態化していて、結局毎日遅くまで残業ということになっているのではないでしょうか。

一方でアメリカ企業の場合は平常時は皆のんびりと仕事をしていて、何もなければ3時頃になると少しずつ人が帰り始めますので、道路の帰宅ラッシュは4時から5時の間がピークです。しかし、もちろん何か問題が起こればしっかり残業する人はしますし、それはその人の評価につながることになるのでできる人は真剣です。ただし、アメリカでも毎日深夜まで働いている人も少なからずいますが、そういう人たちは普通のサラリーマンではなくエリートで、それなりの高給取りではないかと思います。要するに、成果に応じた評価と報酬がきっちり得られるのがアメリカのシステムです。

両者を比較してみると、日本の企業文化やシステムはまだまだ未成熟だというのが私の感じていることです。とっかかりとしてプレミアムフライデーを掲げるのもいいですが、みんなダラダラ働いているわけではないのですから人を増やさなければどうにもならないのではないでしょうか。そもそもできないことまで頑張ってなんとかしようと思うことが間違っているのではないかと思うのですが、そういう自分もなんだかんだ言って日本人なので割り切れないのですよね…

ほぼほぼ

帰国して一番驚いたこと。

ちょっと前にテレビでも取り上げられているのを見ましたが、最近「ほぼほぼ」という言葉よよく耳にするようになりました。最初は誰かタレントが使っていた言葉を真似て比較的若い人たちが仲間内の会話で使っているものなのかと思っていたのですが、実際には私よりもちょっと年上の人からも、仕事の会話どころか説明に来られた取引先の人の口からも聞くようになってとても驚いています。しかし、50代以上の人からは聞いたことがないような気がします。

私がアメリカに行く前には聞いたことがなかったので、ここ4、5年の間に急速に広まったと言えそうですが、あまりに広く普及していて「この人まで使うのか」と思ってしまうほどなので、まるでここではもともと使われていた言葉のようにしか思えず、浦島太郎なのかパラレルワールドなのかというほど、まだ現実とは思えないというのは誇張ではありません。光速に近い速度で移動すると時間の進みが遅くなるので、亜光速宇宙旅行をして帰ってきたら地球は自分たちよりはるか未来になっていたというような、もちろんこれは誇張ですがそんな感じです。

とはいえ、「ほぼほぼ」で検索してみるといつから使われるようになったのかと気になっている人は少なくないようなので、最近使われ始めた言葉であるということは間違いないようです。Googleの検索結果で最初に出てきたwith newsの「『ほぼほぼ』の進捗率は何%? いつから出現? 専門家に聞いてみた」という記事によれば、国語辞典編集者の飯間浩明氏は2013年7月ごろから耳にするようになったとのことで、これは私の渡米後です。その後2,3年で、流行語としてではなく通常に使われる言葉としてここまで広まったというのは驚異的ではないでしょうか。

同じ記事で飯間氏が言われている通り、同じ言葉を繰り返すことで物事を強調するというのは珍しくないことで、「ほぼ」を強調して使われたというのが始まりだったのかもしれません。しかし実際どうかはわかりませんが、今「ほぼほぼ」と言っている人が、「ほぼ」と使い分けているようには思えず、すでにその人たちには「ほぼ」を置き換える形で定着してしまっているのではないでしょうか。真面目な場面では「ほぼ」といい、日常会話では「ほぼほぼ」を使うのかと思っていましたが、そうではないようです。

言葉というものは時代とともに変化するもので、過去に間違っていると言われていた新しい言葉も定着して正しい日本語になっているのだから何が正しいというものではない、というのは理解できます。しかし、ここ数年の間にここまで急速に広まってしまったので、その間日本を離れていた私には一瞬で変化してしまったように見えて、まだついて行けないというのが実情です。私自身は流行に流されるのが嫌いなのでまだ当面は使わないだろうと思いますが、今時「そも」なんて書き言葉でも使わないように、「ほぼ」というのも古臭いものになってしまうのも時間の問題かもしれません。先のwith newsの記事では「10年後には一般語に?」と言っていますが、もうすでにかなり一般的になってしまっているのではないでしょうか。しかしまだ一定の割合で不快に感じている人はいるようなので、お気をつけください。