銃Michael Moore監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の題材にもなったコロンバイン高校銃乱射事件がコロラド州で起こったのは今からちょうど8年前、1999年4月20日のことでした。同高校の生徒らが学校内で銃を乱射し、教師と生徒ら13名が射殺されるという大変悲惨な事件でしたが、少年らがあまりに容易に銃器を手に入れていることも問題視され、その後しばらくはアメリカにおける銃のあり方が議論されるきっかけにもなりました。

しかしその後2001年の9.11をきっかけとする自衛意識の高まりもあってか議論はあまり盛り上がることもなく収束してしまい、人々が完全に忘れ去っていたところで事件は繰り返されてしまいました。今週4月16日、バージニア州のバージニア工科大学で、同大学に在籍する学生が学生寮で2名を射殺したあとで教室に乗り込み、講義中の教授や学生らを襲って合計32人を射殺するという史上最悪の事件が起こってしまったのです。その場で自殺した犯人はアメリカの永住権を持つ韓国籍の男子学生で、動機は恋愛関係のもつれとも言われていますが、自暴自棄になってやったにしては教室のドアに持参した錠をかけるなど用意周到な面もあり、未だはっきりとはしていないようです。

こんな事件が起こるのは強力なロビー団体である全米ライフル協会(NRA)の圧力によりまともな銃規制が行われておらず、簡単に銃が入手できてしまうということが原因なのでしょうか。確かに拳銃の入手が困難であればこれほどまでに大規模で悲惨な事件に至ることはないかもしれませんが、刃物でも数人程度を惨殺することは可能であり、銃刀法で銃器の所持が規制されている日本でも痛ましい事件はたびたび起こっています。NRAのスローガン「人を殺すのは人であって銃ではない」というのは確かに頷かざるを得ないところもあります。

この事件の翌日17日、日本では再選に向けて選挙活動中だった現職の長崎市長だった伊藤一長氏が暴力団幹部に銃撃され、翌未明に出血多量により死亡するという事件が起こりました。犯人はその場で取り押さえられて逮捕され、動機は個人的な恨みからとされていますが現在取り調べが勧められているところではっきりとはしていません。これが単純な私怨によるものなのか、あるいは政治的な意図を持つものなのかによって事件の色合いは変わってきますが、合法的に拳銃が所持できないはずの日本でもこういう事件が起こってしまうというのは非常に残念なことです。警察などによる取り締まりにも限界があるのかもしれませんが、一般市民にとっては暴力団の存在自体が恐怖と迷惑の対象でしかないのですから何とかして欲しいものです。

それにしても銃による攻撃というのは一方的で非常に卑怯なものではないでしょうか。互いに銃で武装している状態であれば応戦することもできるのかもしれませんが、そうでない場合には反撃はおろか防御することすらままならないわけです。また日本刀などであれば所持しているだけで目立つので事前に身構えたり逃げることもできますが、ポケットに忍ばせた拳銃では攻撃が加えられる直前までわからないのです。そんなものは任侠の世界にはそぐわないような気がするのですが…

まあそれはともかく、アメリカで自衛のために銃を持つというのは、相手が持っているかもしれないのでそれに対抗しようと思うと他に選択肢がないからなのでしょうが、そもそもそんな状況になってしまったのが既に悲劇的なことなのかもしれません。街を歩いていてすれ違う人が銃を持っているかもしれないなどと想像すると私などは怖くて仕方ありませんが、そういう世界にも慣れてしまうものなのでしょうか。まだ普通の人なら持っていないはずの日本に生まれて良かったです。