ザ・ベストテンテレビの黄金時代の記録

最近でこそほとんどテレビを見なくなってしまった私ですが、さすがに子供の頃はインターネットはおろかパソコンもなかったわけで、それなりにはテレビを見ていました。ただ、自分がどんな番組をよく見ていたのかについてはあまり思い出せないのですが、よく覚えているものの一つがTBS系列で放送されていた「ザ・ベストテン」です。1978年から1989年まで続き600回あまり放送され、最盛期には視聴率40%台を連発していたという伝説的な超人気番組ですから、私と近い世代の人では知らない人はいないでしょう。この番組のディレクター、プロデューサーとして最初から最後まで深く関わってきた山田修爾氏の、その名も「ザ・ベストテン」という本を見つけたので読んでみました。

ザ・ベストテン
著:山田 修爾
ソニーマガジンズ (2008/12)
ISBN/ASIN:4789733726

今ではもう珍しくも何ともないランキング方式の音楽番組の草分けであるこの番組が、そもそもランキング方式かキャスティング方式かでもめていた、というところや、あの特徴的な得点ボードやミラーゲートの誕生から始まり、司会の選出、出演者の移動先での番組中継、スタジオの舞台裏風景など、当時の音楽番組としては何から何まで新しく画期的であった「ザ・ベストテン」について、誰よりも詳しい生みの親・育ての親である山田氏が生き生きと語っています。

こうして説明されるとあの番組の偉大さ、その後のテレビ界および音楽業界に与えた影響の大きさを改めて感じるわけですが、その影響というのが必ずしも良いことばかりでなかったのも事実です。ランキングを意識した安っぽい大量生産の楽曲ばかりになってしまったのはその負の影響ですが、一方でこの番組の放送期間というのが日本の音楽産業が一番儲かっていた時期でもあるでしょう。

また、1981年から後追いで放送開始された日本テレビ系列の「ザ・トップテン」がほとんど同じ構成で二番煎じ、劣化コピーにしか見えなかったことは事実で、子供心にも格の違いのようなものを感じていました。私にとってこの「ザ・トップテン」のスタートは、24時間テレビの偽善や度を超した巨人びいきが鼻についていた日テレを蔑むようにさえなった一因となってしまったように思います。

それはともかく、この「ザ・ベストテン」という番組は、作っていた山田氏らスタッフ、出演歌手、司会の黒柳徹子氏や久米宏氏らを初めとするその他出演者という作り手にとって、まさに青春そのものであったのではないかという感じで、皆が皆力一杯全力疾走して作り上げられていたもののように感じました。久米氏が降板してからの終盤は一気に失速してしまったかのようにグダグダになっていましたが、絶妙なバランスの上に築き上げられていたものの一端がなくなり、支える力も尽きたかのように終わってしまったということなのかもしれません。もしも仮に最初から久米氏が司会でなかったとしたら、一世を風靡するようなこともなかったのではないでしょうか。

まあそれにしても番組が始まってから既に30年が経過し、終わってからも20年が経過しようとしているということにも驚きです。ということは最近の新社会人らはこの番組を、少なくとも生では見たことがないということになりますね。今はもう日本の音楽も多様化していて、一つのランキングで扱うこともナンセンスとも思われるので、その存在すら想像しにくいかもしれませんが…さすがにそんなことはないですかね。