ただただ勢いのあった頃。
太陽の塔

2025年に開催される国際博覧会、いわゆる万博にはアゼルバイジャンの首都バクーロシアエカテリンブルクと並んで日本の大阪も立候補しているようですが、その投票はいよいよ来月行われるようです。他の候補地が2か所とも旧ソ連であるということが吉と出るのか凶と出るのかわかりませんが、果たしてどうなることでしょうか。

そもそも万博というものが何なのか、何のために開催されるのかが私にはピンと来ません。2005年に開催された愛・地球博ものべ2200万人もの人が入場したそうですが、私にはどうもその意義がよくわからず行ってみようという気になりませんでした。しかし、1970年の日本万国博覧会ではなんと6400万人もの人が訪れたということで驚くほかありません。私の生まれる前年のことですが、私の両親も見に行ったとのことなので、まだ胎児だった私も必然的に行っていたということになるでしょう。

万博会場の跡地は現在は万博記念公園となっていますが、当時の面影を残すものは多くありません。現在EXPOCITYというショッピングセンターになっているところにはかつて万博の際にアミューズメント・ゾーンとして作られたエキスポランドが営業を続けていましたが、2007年の痛ましい事故をきっかけに廃園となってしまいました。

しかし何と言っても現在の万博記念公園の文字通りの顔となっているのは太陽の塔でしょう。万博当時は大屋根に囲まれていたのでむしろ今のほうが存在感があるのではないかと思われますが、公園に沿って走る中国自動車道からも見ることができて、特に夜はライトアップされた上に目が光っているので、なかなかの威容を見せています。この太陽の塔は外から見ているだけでもとても興味深い作品なのですが、万博当時は中が展示スペースになっていたということを知ったのは割と最近のことでした。そして耐震工事とともにその内部が修復されて、今年3月から再度公開されたということを知りました。

太陽の塔

見学には公式サイトの入館予約のページでの予約が必要で、4ヶ月先まで予約できる、つまり4ヶ月前に予約可能になるのですが、週末はすぐに埋まってしまいますし、平日でも1ヶ月前には埋まってしまうような感じです。しかし、直前にキャンセルが出ることがあるので、こまめにチェックすると空きになっていることがあり、私はその手で2日前に予約することができました。

残念ながら「安全のため」塔内部での写真やビデオの撮影は禁止なのですが、実際にはスペース的にも時間的にもかなり余裕をとって見せているので、撮影したとしても特に問題はなさそうなものでした。万博当時はエスカレーターで強制的に上へと運ばれていたそうですが、軽量化のために階段に変更されているのでゆっくりと自分のペースで登っていくことができます。ただ、グループを外れることは許されないので、時間的な制限はありますがそれでもかなりゆったりとしたペースです。

地下のスペースで地底の太陽を見たあと生命の樹のあるメインスペースへと移り、単細胞生物からヒトに至るまでの生命の進化をたどる展示を見ることになりますが、補修直後ということもあって内部はとてもきれいに整備されています。耐震補強のためにコンクリート壁の厚みを増したことで内部空間が減り、展示物の数を減らすなどしたそうですが、それは全く問題を感じるようなこともなく自然でした。

しかし私が一番見事だと思ったのは、塔の腕の部分の内部構造です。当時はここにもエスカレーターがあって大屋根に出るようになっていたそうですが、美しい照明が当てられていることもあって、この腕の形を支えるための幾何学的構造がいくら見ていても飽きないのでした。よくよく考えるとあのような形の腕を生やしておくというのはそう簡単なものではないはずですね。当時の建築技術の粋であったのかもしれません。

太陽の塔を見たあとは当時の鉄鋼館の建物を利用したEXPO’70 パビリオンというところも覗いてみましたが、こちらはこちらで当時のノスタルジーを感じさせる、レトロフューチャーな展示物もいろいろあって楽しめました。

ちなみに私はたまたま先日「『太陽の塔』新発見! – 岡本太郎は何を考えていたのか」という本を図書館で借りて読んでいたので、作られた当時の背景なども知っていたのでより楽しめたように思います。展示やパンフレットなどでも説明はありますが、より深く知っておくことで楽しみが増すことは間違いないと思いますし、この本自体も読み物として面白いのでこれから見学していみたいという方には一読をおすすめします。

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