最近、街角にある裸婦像の彫刻などが撤去される動きが進んでいるそうです。「街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き、各地で…小学生「見ていて恥ずかしくなる」」という読売新聞の記事で詳しく取り上げられていますが、これまで公園や駅前などに設置されていた裸婦像が自治体により撤去されていっているとのことです。小学生から「見ていて恥ずかしい」という声が上がったことが背景だそうですが、この動きに対して「裸婦は生命そのもの。残すべきだ」と言って撤去に反対している彫刻家もいるそうです。

実際、私は子供の頃から街中に裸婦像があることが不思議でしたし、そもそもどうして裸婦が芸術とされているのか、ちょっと違和感がありました。西洋の歴史として、古代ギリシアや古代ローマの時代から裸体が人間の理想的な形を表すものとして、筋肉美などを精緻に表現した彫刻が芸術とされていたというのはわかるのだけれど、それを近代になって急に日本に持ち込んで「これは芸術ですよ」とされても本当にそうなのか、エロティシズムではないのかと懐疑的にならざるをえません。

違和感のもとは、なぜ「裸婦」なのか、つまりなぜ女性でなければいけないのか、作者はほとんど男性だけれど、実際は性的な関心なのではないのか、本当に邪な気持ちはないと断言できるのかと問いただしたくなります。また、女性の目で見てもそれらの裸婦像は芸術的なものなのでしょうか。私は例えばミケランジェロのダビデ像などを見ているのはちょっと居心地悪く感じますが、女性にとっても裸婦像というのはそんな感じのものではないのでしょうか。

そもそもなぜ裸でないといけないのかが理解できません。一体どういうテーマだから裸なのか、納得のいく説明ができるのでしょうか。今の時代にはそぐわないというのは紛れもない事実なのですから、それでも裸であるべきだというのは、その人のエゴでしかないでしょう。