もっと光が当てられてもいいような。
アメリカの大統領府といえば誰もが知っているホワイトハウスですが、この建物はアメリカの頂点にあたる行政府としての機能を果たしているだけではなく、大統領一家の住居でもあります。そして住人がいる以上、その人々の食事も必要になるわけですが、さすがにファーストレディが家族の食事を作るなどということはごく稀なことで、それ専門のスタッフとしてのシェフが必要です。また、大統領一家の食事だけではなく、このシェフには国賓を招いての晩餐、各種パーティやイベントの際に食事を提供するという重要な仕事もあります。
完全に裏方となる仕事ですが、世界的にも非常に特殊な環境であり、どんな様子なのか誰しも興味の湧くところではないでしょうか。昨日は「リビング・ヒストリー – ヒラリー・ロダム・クリントン自伝」について書いたところですが、Clinton政権の2年目からBush Jrの1期目までの11年ほどにわたって、このホワイトハウスのシェフを務めていたというWalter Scheibの著書「大統領の料理人 – 厨房から覗いたホワイトハウス11年」という本をちょうど見つけたので、これに続いてホワイトハウスの内情を別の視点から見てみるのも面白いのではないかと読んでみました。
ホワイトハウスのシェフというのは政府の職員であって、行政スタッフとは異なり大統領からの直接的な指揮権はないのだそうですが、Scheibの採用に際してはファーストレディであるHillaryの意向が非常に重視されていたようです。まあ、日常的にそのシェフの食事を口にするのは他の誰よりもファーストレディが最も多いわけで、当然といえば当然のことです。
また、State Dinnerと呼ばれる国賓を招いての晩餐は、国家を代表してその国賓をもてなすことになるわけで、提供される料理の味もさることながらメニューの選択も非常に重要な意味を持つものになります。Scheib以前、すなわちClinton政権以前のシェフは皆フランス料理中心となっていたそうですが、Hillaryはこれを最新のアメリカン・キュイジーヌに改めたいと考え、それがScheibの料理に対する考え方と一致し、採用に繋がったということのようです。
Clinton政権では頻繁にディナーやパーティが催され、そのたびに招待客はどんどん増え、またメニューも新しいものも歓迎されるなどシェフとしてもチャレンジングで、苦労の中にも喜びのある日々だったようです。しかしこれがBush政権に変わると一変し、社交的でないBushはパーティの回数、招待客とも減り、メニューは保守的、時には特定ブランドの既製品を要求されたり、最終的には細かいメニューや盛りつけなどまでスタッフに口出しされるという屈辱的な職場となってしまったのだそうです。
もともとHillaryに抜擢してもらったという恩があってひいき目に書かれている部分もあるのかとは思いますが、それを割り引いてみたとしてもこの落差はかなり激しく、Bushの下でモチベーションを維持するのは並大抵のことではなかっただろうと思います。この本に登場するBushは私が感じる印象そのままのようなのですが、そう思うとどうしてこの人が大統領として2期も支持されたのかということが不思議でなりません。まあBushが大統領でいることで得をする人もいたということなのでしょうが…
ちなみに、序文に
私にとっては簡単な選択だった決意があります。本書にはファーストファミリーのいわゆる「スキャンダル」のようなもの、二人の大統領とその家族に関する政治的、個人的な問題に関する感想は、書かないでおこうということです。その理由は三つあります。大統領一家とホワイトハウスのスタッフの間には信頼関係の絆があり、私はその信頼を覆すような行為をする気はないこと。第二に、私の職業はシェフで、政治は門外漢であること。そして第三に、そんなことは私が首を突っ込むようなことではないからです。
と書かれている通り、Scheibが大統領一家について直接何か感想のようなことを言っているところはなく、上記はあくまでScheib自身の仕事の内容から私が感じたということですので、人によってはその感じ方も違うかもしれません。