I Am Number Four手のひらが懐中電灯の代わりになるなんてちょっと便利。

先の震災をきっかけにした電力不足の影響で、私の勤務先は夏の間毎週土曜日の代わりに木曜日が休業となる変則的な勤務体系となってしまったわけですが、休みが1日しか無いと体が休まる暇がなく疲れが取れないような気がしますし、子供と休みがずれていることでなんだか無為に過ごしてしまいがちです。しかしこれも悪いことばかりではなく、一人で映画を見に行くには最適で、一般サラリーマンや学生とは休みがずれていることで空いていますし、子供をほったらかしてという引け目を感じる必要もありません。

しかしそれも今週までのことで、来週からは学校が夏休みに入ってしまいます。ということで、最後のチャンスとばかりに今週は一日に2本の映画を観るというちょっとした贅沢を味わってみたのでしたが、その1本目が「マイティ・ソー」でした。そしてもう1本もなんとなく似た所がある「アイ・アム・ナンバー4」です。

Wikipediaに書かれているストーリーは予告を元にしたものなのか若干間違っているようなのですが、主人公はLorienという惑星からMogadorianという侵略者から地球に逃れ、隠れて生活している8人の子供達のうちの1人です。彼らには番号があり、主人公はその4番目、ナンバー4なのですが、その番号順にナンバー3までMogadorianに殺されてしまい、次はナンバー4の番ということになってしまいます。そこでオハイオ州パラダイスというところでJohn Smithといういかにもな偽名で潜むことにしたのですが、まもなく彼は「覚醒」し…といったところです。

地球外生命体の登場する映画では、そのエイリアンたちをどう描くかという所がひとつの鍵となるかと思うのですが、この作品では「善玉」である主人公たちLorien星人は地球人に極めてよく似ていて、しかも美形揃いです。一方「悪玉」Mogadorianたちは顔にエラのようなものがあったり変な髪型だったりで、醜悪なイメージをもたせようとしていてかなり恣意的な感じがします。果たしてこの外見がもし逆だったとしたら、私たちがどういう印象を持ったかと考えるとちょっと面白いと思います。
I Am Number Four - Sarah
このようなエイリアンの描写の面からも、この作品はあまり製作費がかけられていないのがなんとなく伝わってきてしまうのですが、別の一面としてあまり有名な俳優がキャスティングされていないという点があります。しかしそれは悪いことばかりではないのですよね。無名であることが必ずしも演技力がないということではありませんし、経験が少ないというのを新鮮さと捉えることもできます。何度も見たことのある人が出ていると、それまでに見た役のイメージの影響を受けてしまうということもありますし、私はむしろ良いことと捉えています。

中でもヒロインのSarah Hartを演じているDianna Agronはちょっと影のある役どころですが、必ずしも絶世の美女ではないものの個性的な女優さんではないでしょうか。カメラオタクにしてはちょっと美形すぎるような気もしないではありませんが、まあこういうこともあるでしょう。

最後のMarkの心境の変化がちょっと強引な気がしないでもありませんが、このあとナンバー6と行動を共にするということは続編があるということなのでしょうね。もともとこの作品は小説を原作とするもののようなのでぜひそれを読んでみたいと思うのですが、邦訳はまだのようですね。原書で読むというのはちょっと勇気が要りますが…いけるでしょうか。とりあえず今度の出張の時に探してみようかと思います。