リスクの考え方。
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最近Amazonでは荷物の配達時に「置き配」を指定できるようになりました。今のところ地域限定になっていますが、対象地域は徐々に拡大されていっているようで、来年中には全国どこでも対応できるようになるようです。置き配を指定すると、在宅/不在に関わらず、指定した場所に荷物を置いていくため、サイン不要で荷物を受け取れるようになるとされています。また、荷物が置かれた状態の写真をメールやアプリで確認できます。

宅配便全体の再配達率は2割ほどにもなるとのことで、これはかなり無駄なものですので、これが少しでも減るというのはほぼ誰にとっても良いことではないでしょうか。心配されるのは配達後の荷物の盗難ですが、万一配送済みとされているのに荷物が届いていないという際にはAmazonが補償してくれるということなので、利用者にとって面倒ではありますが、経済的な損失にはなりません。Amazonは補償リスクに見合う価値のあるサービスだと判断したのでしょう。

実は置き配というのは諸外国ではかなり一般的なもので、私がアメリカに住み始めた2012年でも不在の際には大抵の場合玄関先に置いていってくれました。大抵、というのは配達業者によるもので、UPSUSPSは置いていってくれるのですが、DHLだけはなぜか手渡しで受け取ることが必要でした。アメリカで玄関先に置かれていて大丈夫なのかと思われるでしょうが、盗られてしまうようなことは一度もありませんでした。日本は治安が良いものと思い込まれていますが、実はよほど日本の方が軽い犯罪はちょくちょくあるのではないかと思っています。

なお、日本のAmazonの置き配と異なるのは、まずドアベルを押してすぐに出れば手渡しして、しばらく待って出てこなければ置いていくというところです。待っている時間は配達員によって違い、1秒も待たずに置いていくような人もいましたが、届いたことはわかるので玄関を開けて置いてあるものを取るだけのことです。日本のAmazonの場合には黙って玄関先などに置かれていくので、私の外出中の家族にとっては知らないうちに置かれているということになってしまい、これは日本でも同じようにしてくれるといいのにと思っているところです。

ということで私はほとんど手放しで歓迎しているこの「置き配」サービスですが、日本ではあまり受け入れられていないというのが不思議です。どうも日本の社会は不寛容で、完璧でないものは受け入れられない傾向にあるのではないかと思っていますが、それではどうしてもコストが掛かってしまいます。ある程度のリスクを受け入れることで総合的な利益が高まるのであれば、それを受け入れるべきではないでしょうか。