大学卒業予定の時(実際その年には卒業できなかったのですが)、友人らと南仏・イタリア北部を旅行したのですが、ニースに宿泊していた時に「F1の聖地」モナコ公国のモンテカルロまで足を伸ばし、F1の周回コースを徒歩で一周しました。テレビで見ているとわからないものですが、全体的に結構な高低差があるので第1コーナーからの登り坂ボー・リヴァージュやカジノからトンネル入口までの下り坂はかなり急です。F1では一周1分ちょっとで周ってしまいますが、歩くと一時間ほどもかかってしまいました。F1が数秒で通過してしまうトンネルも徒歩では10分近くかかります。

そんなグランプリコースが見渡せる高台にある旧市街の奥にモナコ公国の元首たる大公の宮殿があり、衛兵交代の様子を見ることができるというので我々も足を運んでみました。衛兵交代というとイギリスのバッキンガム宮殿のものが有名ですが、これをイメージして行ってしまうとあまりに規模が違うのでがっかりしてしまうかもしれません。とはいっても国の大きさが全く比較にならないのですから、当然のことです。それでも、数人の衛兵がうやうやしく交代する儀式の様子は日本では見ることのできないものですし、わざわざモナコで衛兵交代を見るという日本人はわずかでしょうから、希少価値はあります。

形式上、この衛兵に守られていた大公、レーニエ3世が昨日亡くなりました。レーニエ大公と言えば、ハリウッド女優であった故グレース・ケリーと結婚したということで有名ですが、グレース妃や王女らの不幸に見舞われるなど、華やかなばかりではなかったようです。自身で自動車博物館を公開するなど車好きでも有名だったそうですが、古くからF1やモンテカルロ・ラリーなどが開催されているということもその影響によるものでしょうか。大公がグレース妃と結婚されたという以外には、モナコといっても小国ゆえに一般の人にはほとんど馴染みがないことでしょうが、私達F1ファンにとってはある種特別な意味を持った国名ですので、無関心ではいられませんでした。

それにしても、モナコと言えばバチカン市国に次ぐ2番目に小さな国なわけですが、そのバチカンの元首でもあったローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなってからわずか数日のうちにモナコの元首が亡くなるというのも、実際には関連はないのでしょうが、何か因縁のようなものを感じずにはいられません。

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