X-Men: Apocalypse - En Sabah Nur前日譚はここまでのようです。

X-Menの世界では人間の中から突然変異で特殊な能力を持つミュータントが生まれてきて、多くの場合は奇形として迫害される人生を送っている、ということになっているようです。その能力がいかに強力なものであっても一人では社会に対しては無力であり、そうしたミュータントたちがProfessor Xの元に結集することによって初めて実際の力を得ることができる、というわけです。

この設定に対して、例えばアメリカ人と日本人とでは捉え方が異なるということはないでしょうか。個人の実力を重んじて、集団に埋没するよりも個性を発揮することに価値を認めるアメリカでは非常に理不尽だとミュータント側に立って考えそうですが、協調性・和を尊ぶ日本ではミュータントたちとどうしたら上手くやっていくことができるだろうかと社会側に立つ人の方が多いような気がします。

これは今ふと思っただけのことですが、実写映画版X-Menシリーズの最新作「X-MEN: アポカリプス」が先週末から公開されているので、夏休み中の昼間に観に行ってきました。

今回は「X-MEN ファースト・ジェネレーション」、「X-MEN: フューチャー&パスト」に続く、X-Menが発足する直前の時代を描いています。特殊な能力を持つがゆえに学校でいじめられていたCyclopsことScott Summersや、ミュータントたちの中でも強力すぎて距離を置かれていたJean Greyなどの後の主要メンバーらも登場してきます。
X-Men: Apocalypse - Quicksilver
敵役として登場するのは最初のミュータントと言われるEn Sabah Nur、通称Apocalypse (黙示録)です。彼の本来の能力が何であるのかははっきりしませんが、一番の特徴は自分の精神を他のミュータントの肉体に移すことで事実上の不死を得ており、かつその際にもともと持っていた能力に加えて移った先のミュータントが持っていた特殊能力も獲得してしまうという点で、本作登場時点ではすでに神と呼ばれるほどに強大な力を持っています。この敵を一体どうやって打ち負かすことができるのでしょうか。

私はMarvel原作の映画版の中でもX-Menは好きなのですが、本作では現シリーズでの演出がとても良くて好きなQuicksilverが活躍してくれるのが非常に楽しかったです。予告にも登場していたあのシーンでの活躍はコミカルに描かれていましたが、X-Menにとっては非常に重要なものだったはずです。第1作以降の作品には登場していなかったのですが、この後どうなってしまうのかが気になります。

なお、このシリーズはMarvelDisneyの傘下となってからも20th Century Foxの製作となっているので、一部のキャラクターがAvengersの方では設定や俳優が違っていたりしますが、映像のトーンも若干違っているのもスタジオの影響があるのではないかと思います。しかし、エンドロールのあとに1シーンあるのはMarvel作品のお約束なのか、この作品でもしっかりありますのでこれから観るという人はお見逃しの無いように。アメリカではその後に何もない場合はエンドロールが始まったところで館内の照明が点いたので分かりやすかったのですが、ほとんどすべての人がエンドロールに入ったところで出て行ってしまうのでそうしているのか、それとも照明が点くから帰ってしまうのか、どちらが先なのかはわかりません。