富山県立高岡南高校での発覚をきっかけに全国各地の高校で明らかになった、必修科目を生徒に履修させていなかったために卒業単位が不足しているという問題ですが、今後どのような展開となるのでしょうか。各高校では慌てて補習授業を行って何とか卒業できるようにと対策に大わらわといった状況のようですが、文部科学大臣は必要な単位をちゃんと履修している生徒と不公平になるので特別な配慮は難しいと表明していますので、何としてでも授業を行わないことには卒業式を行うこともできないようです。しかし350回もの補習授業というのは現実的なものとはとても思えません。

大学受験に注力するため受験に必要のない科目を省略してしまったことにより今回の問題が起こっているわけですが、今度は補習によって受験勉強の時間がなくなってしまう、受験に影響する…受験、受験といったいこの国の教育はどうなっているのでしょうか。受験のための勉強にどれだけの意味があるのでしょうか。本来は身につけた学力を考査するための仕組みが試験というものであるはずなのですが、試験のためだけに詰め込んで、試験が終われば忘れてしまい役に立たなくなるような勉強に価値があるとはとても思えません。

私は附属高校から自動的に大学に入学していて大学受験を経験していないのですが、だからこういうことを言っているというわけではありません。また、受験を知らないからそんなことを言えるのだという人もいるかもしれませんが、それもまた的外れです。受験勉強が無意味だと思ったからこそその必要のない附属高校を選んだのです。でもそれは単に受験を回避しただけなので、枠の限られた附属高校に入れなかった人はどうするのだという問いには残念ながら答えることができません。

まあ、受験勉強というのは日本独特のものというわけでもなく、世界のどこでも行われているものなのだとは思います。しかし、そのために高校がその授業を省略して卒業させてしまうというのはあまりないことなのではないでしょうか。学校側は「生徒の要望に応えた」などという言い方をしているようですが、実際には大学入試の結果により評価されてしまう高校の方が安易な道を選んでしまったということのはずです。いったい何のために学習指導要領というものが存在するのか、その意味を考えて、本来の教育機関としての高校に立ち返って欲しいものです。とはいえ学歴で評価されてしまう社会の方が変わらないといけないのでしょうが…以前よりはマシになってきたように思いますが、まだまだですね。

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