白ユリ目映い光を放ちつつ燃え尽きてしまったのか…

私の古い友人の一人が亡くなったそうです。私はDan Kogai氏のブログで今朝初めて知りましたが、今は/.jpのトピック2chのスレにもなっています。詳細はあまり語られず不明ですが、37歳という若さでの死はあまりに早すぎます。

彼は最近までIIJに研究員として勤務していたようなのですが、WIDEプロジェクトに参加しKAMEプロジェクトの中心人物としてIPv6の普及に向けて尽力していたことと、一時期NetBSDのコアメンバーであったということもあり、世界中のハッカー達にitojunとして知られる存在でした。日本のハッカーと言えば必ず名が挙げられたのではないでしょうか。

当時既に「いとぢゅん」と呼ばれていた彼と知り合ったのは高校2年の時だったと思います。当時のクラスの友人らと同じクラブに所属していたということから一緒に連むようになったのですが、当時から彼はハッカーでした。私もパソコン少年だったのでプログラムを書いたりしてはいましたが、彼に比べれば私のやっていることなどほんのお遊びに過ぎませんでした。しかしながら彼がオタクっぽさを全く感じさせず、明るく皆に好かれる存在だったのは育ちの良さもあったのでしょうか。

大学でも同じ学部に進み、計算機系の研究室に入ったということもあって、似たような道を進んでいたかのようでしたが、のらりくらりとやっていた私とは違いました。当時も自宅に数台のSUNのワークステーションを持っていて、そんなもので一体どうやって遊ぶのかなどと思った記憶がありますが、その後大学院を出てからはIIJで研究者の道に進んだということのようで、遊ぶといってもそれは私には想像もつかなかった研究というレベルのものだったのでしょう。

就職後は私が地方へ移動したということもあって全く疎遠なままだったのですが、10年ほど前のある日、当時まだ勢いのあったInternet Magazineを立ち読みしているとその見開き2ページまるまる彼が取り上げられているのを見て驚きました。それはそのまま買って帰りましたが、私にとってはある程度身近な存在だった彼がそこまでインターネットの世界では大きな存在になっているとは思わなかったのです。その後もネット上のいろいろなところで彼の名を目にすることがありましたが、当時日本語化されていなかったOrkutで見付けたときに英語でメールを送りつけたところ日本語で返事をもらったのにそれっきり、という申し訳ないことをしていたのを思い出しました。それも今となっては取り返しのつかないことです。

すっかり疎遠だった私でさえ、今朝このことを知ってから何とも言えない空虚な感じがして、職場でも仕事が手に付かないような状態でした。考えてみれば私の直接の友人・知人の訃報というのはこれが初めてのことで、これまで人の死というのは老いた親戚のもの以外はニュースや物語の中のものでしかなかったのでした。これはこれまでが幸運だったというだけで、今後は歳を取るにつれ次第にこうしたことも増えてきてしまうのでしょうか。

それにしても、彼を失なったことは私を含む友人・知人だけでなく、インターネットやコンピューティングに関わる全ての人にとっての大きな損失です。今私が彼のためにできることはほとんどありませんが、せめて彼が安らかに眠ることができるよう、祈りたいと思います。

「稀代のハッカー、いとぢゅんに栄光あれ。」