原作当時は画期的だったのでしょうが、今となっては逆にありきたりに見えてしまうのが残念。
欧米に比べて割高な日本の映画鑑賞料を様々な割引企画で引き下げて、多くの映画ファンを劇場に呼び込もうとしているらしいワーナー・マイカル・シネマズですが、今年の春頃から行われていた「映画を観ると1つずつ押してもらえるスタンプカードに6回分のスタンプを貯めると1回タダで見ることができる」というキャンペーンは好評だったのかTSUTAYAのTカードとの組み合わせで「シックスワンダフリー」というサービスとして定着させることにしたようです。このサービスでは窓口でTカードを提示するか、e席リザーブの場合はあらかじめTカード番号を登録しておくだけで勝手に貯まってくれるため、ポイントカードのように「貯める」ということを意識する必要はないようなので、頻繁に映画を観る人はもちろんのこと、観ても数ヶ月に1度程度という人でもそのうちタダで観られるようになるというのは良いのではないでしょうか。
ところで私はこのスタンプカードの2枚目が一杯に貯まって無料鑑賞券となっていたものの期限が翌日に迫っていることについ先日気付いてしまい、その日に慌てて映画を観ることになりました。今なら「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」を観るところですが、当時はあいにく公開直前だったのでその時一番人気だった「アイ・アム・レジェンド」を観てみることにしました。そんな状態で観に行ったのでどんな内容なのかはほとんど知らず、私の予備知識は劇場で以前観た予告編でのものだけでした。
この作品は邦訳では「吸血鬼」「地球最後の男」といったタイトルで発行されていたRichard Mathesonの同名小説を原作としており、実は既に「地球最後の男」「地球最後の男オメガマン」として2度映画化されているもののリメイクということになるのでした。実際にはあらゆるゾンビ映画の元になっているとも言える作品がベースであるにもかかわらず、何度も観たような映画になってしまっているためか酷評されていることが多いようなのはちょっとかわいそうな気もします。
そのストーリーというのは、遺伝子操作により癌細胞を破壊する善玉ウィルスを作ることに成功し「癌を克服した」と讃えられていた、開発者の名前を取ってKrippin Virusと呼ばれたものに実は欠陥があり、その3年後には地球上の人類はほぼ滅亡し、ニューヨークのマンハッタンにはただ一人、抗体を持っていたために主人公のRobert Nevilleだけが生き残った、という状況から始まります。このため、しばらくの間主な登場人物はRobert Nevilleただ一人ですが、この孤独な主人公をWill Smithが若干コミカルに演じていて、初めのうちは重苦しい空気はあまり感じられません。しかし後半になると漂う悲壮感は隠すことができなくなってしまうのですが…
この映画で非常に金が掛けられていることが感じられるのが、人間がいなくなったことで荒廃しきったニューヨークの街並みの映像表現です。さすがに現代のCG技術を駆使すればどんな映像も作れないことはないのでしょうが、これにはかなりの時間と金額がつぎ込まれているはずです。それだけにかなり現実味と見応えのある映像になっているのではないでしょうか。
先ほど私がネット上で見た酷評の一つでは「人間がいないはずなのに電気や水道といったインフラが使えるのはおかしい」というのを槍玉に挙げていましたが、作品中でもNeville宅では自家発電と水の備蓄が行われていることがわかる場面があったと思うので、実はちょっと的外れな指摘のような気がします。といっても、あれだけの電力を自家発電で、しかも途切れさせずに賄うのは難しいと思いますし、ガソリンスタンドで洗車していたのはどういうことなのかな…というのは私も疑問に思ったシーンではあります。まあ、根本的にそんな理屈で攻めるような映画ではないと思いますし。
ラストは単純で楽天的なハッピーエンドではなく、ちょっと胸が苦しくなるような展開だったのは予想外でしたが、かといって「感動的」というほどのものでもないのも中途半端に感じられるのかもしれません。でも実際はこれくらいが現実的なところなのではないでしょうか。Will Smithだからといっていつでも大活躍というわけにはいかないでしょう。
ちなみに、私の大学の研究室で同期生の一人が卒論のテーマに選んだものが、Krippin Virusのコンピュータウィルス版と言える、ウィルスを除去して回る善玉ウィルスでした。さすがに教授は賢明で実際のウィルス開発は許可せず、理論研究のみに制限していましたが、仮に善玉のつもりのウィルスを開発してしまい、もしもそれが致命的な欠陥を持つものであったりしたら大変なことになるということは、誰でも漠然とは想像できることでしょう。当然ながらそれがコンピュータのものではない本当のウィルスの話であればそういう感覚はなおさらのものでしょうから、この映画のようなことはあり得ないと思って良いのでしょうか。実はそういう常識的な感覚の欠如した人が結構いるというのが最近わかってきて、あり得ないとまでは言い切れないような気がして恐いのですが…