無念。

実は先週から思い立って朝晩のウォーキングを始めていたのですが、アメリカのMemorial Dayという祝日の翌日5月26日火曜日、朝6時頃にそろそろ家へ戻ろうと歩いていたところ、義妹からLINEのメッセージが入りました。かねてより癌を患い療養中であった義父がつい先程亡くなったということを伝えるもので、私はそこから急いで自宅へと帰ることとなりました。

妻は帰国するのは自分だけでいいと言いましたが、こういう場合の渡航費用も勤務先が負担してくれますし、血の繋がった孫である子供たちにもしっかり最後のお別れをさせるべきと説いて直ちに家族4人分の航空券を押さえました。幸い、その日の正午頃に出発する直行便が確保できましたので、すぐに荷物をまとめて空港へ向かい、一報のあったおよそ24時間後には妻の実家に着き、亡くなった義父と対面することができました。

臨終の時に妻を側にいさせられなかったのは残念ですが、実は3週間前に、まだ意識のしっかりしているうちに会わせてやりたいということで妻だけ一時帰国させていたので、それがせめてもの救いとなりました。その時点では見舞客にもしっかり対応できて、食事も3食摂っていたということだったので、こんなに急にその時が来てしまうとは誰も思っていませんでした。私や子供たちも7月に一時帰国を予定していたので、そこでまた会うことができると思っていたのに本当に残念です。

昨年秋頃に血尿が出て診断を受けた時には既にステージ4で手術の出来る状況ではなかったということですが、私が最後に義父に会った12月初めにはとても抗癌剤治療を始めているとは思えないほど元気な様子だったので、この進行の速さは予想できませんでした。早期発見できていれば治すことも可能だったのでしょうから、やはり癌に対しては検診が最も重要な対応策であるということなのでしょう。私自身も他人事とは言っていられません。

享年73歳、身内にとってはもちろん、日本人男性の平均寿命から見ても早過ぎる死ですが、こういうことがあってもおかしくない年齢に自分も達したということなのかもしれません。私の実父母はもう少し若いのでまだしばらく元気でいてほしいものですが、いつかは覚悟しなければならない時が来るということを再確認させられました。今回は長男である義弟が喪主をしっかり務めていましたが、その様子も見ながら同じく長男である自分も同じようなことをしなければならない時が来ると思うとともに、順当に行けばその後で役割の回ってくる自分の息子にもやってもらわなければならないのだなあなどとも考えていました。

過去に祖父母や妻のおじおばの葬儀は経験してきましたが、こんなに近い人が亡くなったのは初めてのことで、これまで以上にいろいろ考えさせられることもあり、これもまた義父に教えられたことなのだと思います。また、今回は500人を超える参列者があり盛大な式となりましたが、それも義父の人柄と為してきたことの表れで、亡くなって改めてその偉大さを認識することとなったのでした。自分自身の時は近い親族だけでこじんまりとやってくれればいいと思っていましたが、張り合ったところでとても敵うものではなさそうです。

残された者にとっては悔やまれることもあるでしょうが、今は何を言っても仕方がありません。義父にはこれからも私も含め一家を優しく見守り続けてもらいたいと思います。安らかに。