日本の古い街を破壊したアメリカ人に言われたくない、という思いも無きにしもあらずですが。

私は今、出張で日本に帰ってきているのですが、先日Amazon.co.jpで購入して実家に届くようにしていたものの一つがAlex Kerr氏の著書「ニッポン景観論」でした。

ニッポン景観論 (集英社新書)

アメリカ人のKerr氏は少年時代の一時期を横浜の米軍基地で過ごし、その後イエール大学で日本学を専攻後慶応義塾大学に留学、オックスフォード大学で中国学を学んだ後再来日、というかなりの日本通ですが、この本では日本で軽視されている景観を問題視し、日本で見られる様々な奇妙な光景を取り上げています。

日本でも人里離れたところでは非常に美しい景色を楽しむことができますが、人が住んでいるところではその住人の利便性を最優先して景観にはほとんど配慮されないのか、せっかくの景観を台無しにするような建築物や看板、電柱などが何の遠慮もなしに建てられてしまったりしています。景観なんて一銭の得にもならない、という主張なのかもしれませんが、実際にはそうとも言い切れないのではないかと思います。

私はこの本を東京から西へ向かう東海道新幹線の中で読み始めたのですが、一気に読んでふと顔を上げ車窓を見ると、まさにこの本で取り上げられているようななんとも酷い光景が広がっていました。列車の旅といえば車窓からの景色も重要な要素のはずですが、新幹線は実用一辺倒で旅情など微塵も感じられないものになってしまっています。

また京都駅では外国人観光客が降りようとしていましたが、列車から見える景色ははたして彼らがイメージしていた日本の古都京都と一致していたでしょうか。おそらく、駅が近づくに連れて彼らは少なからぬ戸惑いを感じたことでしょう。本書でも取り上げられていますが、京都駅のデザインはまったく酷いものです。京都は日本一の観光都市を自認するのであれば、それを再優先すべきではないのでしょうか。現状では新幹線からは古都としての顔は全く伺うことができず、単なる地方都市の姿に成り下がってしまっています。リニア中央新幹線が奈良を通るようになれば、今のままではおそらく多くの観光客が京都ではなく奈良の方へ流れるでしょうが、それに対する危機感というものはあるのでしょうか。

もちろん問題なのは新幹線沿線だけではありません。本書で取り上げられているものの一部は極論かもしれませんが、多くは正論で大変頷けるものです。例えば電線の地中化というのは言い古されてきたことですが、いつまでたってもそれがなかなか進まないのはなぜなのでしょうか。それは日本人の景観に対する意識の低さが原因に他ならないと思いますが、本書はアメリカ人の著者が日本の景観を守るため、それに警鐘を鳴らすものと言えるでしょうか。