駐在員の間でもなかなか貴重な経験。

すでに7月に入ってしまい、何週間も前の事になってしまうのですが、私の子どもたちがそれぞれ現地の学校の卒業式を経験しました。長男は今年15歳、次男は12歳になりますが、どちらも誕生日で割り当てられる学年よりも一つ下げているので、この夏で8年生と5年生を終了しました。日本では小中高を6-3-3と割り振っていますが、アメリカでは地区によって学年の割り振りが異なり、Ann Arborでは5-3-4となっているので、長男は中学校に当たるMiddle Schoolを、次男は小学校にあたるElementary Schoolを卒業したというわけです。

こちらの学校の体育館Gymにはステージのようなものはないので、Elementaryの卒業式は校内の食堂と兼用になっている講堂Auditoriumで行われました。ちなみにこちらでは給食でも弁当でも昼食は教室ではなく食堂で食べることになっています。このAuditoriumで在校生の一部学年が見守る中、卒業生のうち数人が舞台でスピーチを行い、卒業生全員が前に出て歌を歌い、そして一人一人名前を呼ばれて卒業証書を受け取り、といった感じでした。校長先生や担任の1人からのメッセージはありましたが、形式張ったところは一切なく、そもそも来賓らしきものはいないのでその紹介や祝辞もなく、和気あいあいのうちに終わりました。ただ、証書の受け取りは一応練習したということで、それだけでも大きな驚きでした。しかしそれも日本のように恭しく受け取るというのではなく、左手で受け取りつつ右手で握手するというのをスムーズにできるように練習したということのようです。

Middle Schoolの卒業式は高校のAuditoriumを借りて行われましたが、高校のAuditoriumになるとしっかりした舞台とすり鉢状の客席を持ち、もはや立派なコンサートホールのようです。ここで卒業生のジャズバンドやオーケストラなどによる演奏があったり、ハーバード大在学中の先輩からの金言Words of Wisdomがあったり、Elementaryよりはややフォーマルな雰囲気になっていました。しかし、卒業証書授与の際、生徒の名前が呼ばれた時に人気のある生徒の場合は拍手の他に歓声が上がったりして、やはり自由でした。なお、順序が後の方だったので生徒たちもほぐれていたということはあるでしょうが、私の子供の時にも大きな歓声が上がっており、言葉では苦労しただろうに溶け込んでいるのだということに感動してしまいました。

普段はTシャツにラフなパンツの生徒たちもこの日ばかりはちょっと着飾って、男子は襟のあるシャツにチノパンなど、女子はサマードレスなどを着ていてだいぶ華やかでした。アメリカの女性は14歳がピークなどとも言われていたりするので、まさにその年頃の女の子のドレス姿はなかなかのものだったりもしました。

式の後には保護者が持ち寄ったケーキなどで軽いパーティがあるのですが、高校は地区によって2つに別れてしまうということもあって名残を惜しむようでした。ここでは私は子供についていき、他の子との写真を撮って回りました。さすがにこの年頃になると女の子たちも積極的で、腕を組んできたり寄り添ってきたりするのですが、その時長男は腰に回した手をどうしたら良いのかわからず、微妙に腰から浮かせているのが滑稽でした。まあそれは他の男子でも似たようなものでしたが。

ということでどちらも共通するのはあくまで子供たちのためのものであるということではないでしょうか。日本の卒業式というとことさら格式張ったものにされがちですが、本来は親や教師、ましてや地域のお偉方のためのものなどではなく、生徒たち自身のために行われるべきものであり、来賓のPTA会長が偉そうに垂れる祝辞や卒業生と在校生のきれいに揃った掛け合いなどは全く意味のないものだと実感しました。これで十分だしこちらの方がいいのではないか、というのが私達夫婦の感想です。