Smokingこの人とは分かりあえる気がしません。

喫煙が自己管理のできない人の物と見なされるようになったアメリカではしばらく前から公共の場では喫煙ができないようになっていましたが、日本でも健康増進法の成立で拍車がかかり最近急速に禁煙化が進んでいて、今はもう鉄道の駅でも喫煙する場所がなくなっているのだということをつい先日聞いて驚きました。仮に喫煙所があったとしても狭苦しいところに順番待ちをしてはいるような状態だそうですが、流石にそこまでしてという人も多いのか、禁煙したということをよく聞きます。

私自身は子供の頃に喘息を患ったということもあって、生まれてこのかた一度もタバコを吸ってみたことすらないので、日に日に肩身が狭くなっているであろう喫煙者の気持ちはよくわかりません。それならその気持ちは理解できなくとも主張は知っておくべきかということで、禁煙運動に対する愛煙家の反論である「タバコ狩り」という本を読んでみました。

タバコ狩り (平凡社新書)
著:室井 尚
平凡社 (2009/06)
ISBN/ASIN:4582854680

著者は室井尚という大学教授ですが、そうはいっても社会学者でも医学者でもなく、専門は美学と記号学だということなので肩書きとは全く関係が無く、単なる一人の愛煙家が愛煙家の立場で主張しているだけのものです。たまたま大学教授という「文化人」で、文章がちょっとうまいというだけのことであり、学問的な裏付けがあるわけではありません。

しかし、この人の主張は全く的外れというか、単に自分がタバコを好きでやめたくないので必死になっているというようにしか受け取れず、まるで説得力がありません。まず冒頭から「喫煙者はマイノリティではない!」と来てしまい、喫煙者は沢山いるのに喫煙する場所がどんどん減っているが、どうして肩身の狭い思いをしなければいけないのか、と言っています。私にしてみれば、それならやめればいいのにとしか言えません。ニコチン依存症でやめたくてもやめられない、という人はちゃんとした治療を受ければ良いでしょう。

また、禁煙運動はWHOの事務局長による悪意に満ちたもので、その主張は科学的根拠の無い嘘だとしています。信じがたいことに、「喫煙者人口が劇的に減少している英米などの外国でも、肺ガンの発生率は全く変化せずむしろ増加しています。」などと言っているわけですが、これについては山形浩生氏が論破している通り、喫煙しているとすぐに肺がんで死亡するというわけではない以上遅れがあるのが当たり前なのにそれを無視しているだけなのです。

そのあとは受動喫煙の被害についてもデタラメ扱いしているのですが、これについては仮に万が一主張通りなのだとしても、吸いたくもない煙を吸わされる人の迷惑について、気付いているのに気付かない振りをして無視しているのが質の悪いところで、私はここが一番の問題だと思うのです。喫煙者本人の健康については、最終的にはその人の意志で喫煙を続けるのだというのであれば、たとえ間接的に医療費を負担させられるのだとしても、国が専売していた時期がある以上仕方がないかと諦めることもできます。しかし、喫煙するのであれば他人に迷惑を掛けるのはやめて欲しい、タバコをやめなくてもいいから私に煙を吸わせないで欲しい、ということです。

著者は喫煙の趣味的な要素を強調するために、紙巻きタバコだけでなく葉巻やパイプ、水タバコや噛みタバコなどもあり、それぞれの良さがあるなどということを言っているのですが、禁煙補助薬であるニコレットまでその一種に入れようとしています。それは要するにニコチンさえ摂取できればいいということであり、趣味など全く関係なくニコチン依存症であることを白状しているだけではないのでしょうか。それ自体は病気なので恥ずかしいことではないのに、無理やり趣味性に結びつけてしまっていることが何とも浅はかな感じがします。

ということで、結局この本を読んでみても喫煙者の主張の正当性は全く理解することができず、逆にこの著者のせいで理解が遠のいてしまったような気がします。確かに禁煙利権というのもないわけではないでしょうが、それ以上にタバコ会社の利権の方がはるかに大きいでしょうから、陰謀論を繰り広げるのも苦しいところがあるのではないでしょうか。

身近な方々に対しては、先にも述べた通り私に迷惑を掛けさえしなければ喫煙を続けてくれても構わないのですが、自分の健康を考えるのであればやはりやめた方がいいと思います。まあそういう私も甘い物がなかなかやめられないわけですが…