Severus Snape知りたい気持ちはわかるけど、後日談は蛇足かな…

今日から3日前の7月23日、ハリー・ポッターシリーズの完結編となる第7巻の日本語版、「ハリー・ポッターと死の秘宝」がついに発売されました。第1作目の時はあまりに世間が浮かれているような気がして私はこの波に乗らずにいたのですが、その後映画化前に義妹に借りて読んでからは全作発売直後に入手するようになってしまいまるで大ファンのように見えるかもしれませんが、ファンタジー好きではあるのでそれなりに楽しんで読んではいるもののここ何作かは惰性のような気がしないでもありません。ファンタジー小説としての出来はそれほど素晴らしいというものではありませんが、あくまで子供向けの作品なのだから割り引いて読む必要があるでしょう。まあそんなことを言いながらも今回も暇さえあれば読みふけり、一気に読み切ってしまったのですから偉そうに批評している場合ではありません。

主人公のHarry Potterのホグワーツ魔法魔術学校での一年間を1巻に描いてきたこのシリーズの最終巻ということで、この作品でのHarryらはついに最上級生である7年生となったわけですが、今回はHarryらは事情により学校に行くことができないので授業のシーンなどは全くありません。まあ何しろ宿敵Voldemortが復活してのさばるようになり、魔法界全体がそれどころではないという状況ではあるのですが。

というところでこれ以上の具体的な内容についてはなるべく触れないでおきたいと思いますが、前半は何とも殺伐としていて「これが本当に子供向けと言えるのか」という感じでした。その後徐々に希望の光が見えてきて、終盤にさしかかったあたりでガラガラと謎が解けていくのはちょっと爽快です。今回も鍵を握っているのは思いがけない人でしたが、それがわかるとかなりスッキリと整理することができるようになります。

しかしそれにしてもこの日本語訳に対してはかなり不満があります。翻訳の質に関してはそれほど問題があるとは思わないのですが、まずどうして日本語版の独占権を持っている静山社の松岡氏が英語版の発売日に初めて原書を入手しなければならないのでしょう。これは静山社だけの問題ではないのでしょうが、中国語版が海賊版の台頭を防ぐためとはいえ3ヶ月ほどで発売されているのに対して日本語版は1年後というのはファンを待たせすぎではないでしょうか。

また、もう一つ気に入らないのは本文中で何種類かのフォントを使い分けているということです。このフォントの違いで誰の台詞なのかということを表していたりするのですが、子供向けの本とはいえ文学的にはちょっと安易ではないでしょうか。新しい表現なのだといわれればそうなのかもしれませんが、台詞によっては目を凝らしてみなければどのフォントなのかがはっきりわからず、それがわからないと誰の台詞なのかもわからないというのはどうなのでしょう。読み聞かせる場合にはフォントを見て声音を使い分けろということなのでしょうか。マンガではないのですから、ちゃんと文脈だけで判断できるようにして欲しいものです。

私にとってはこの翻訳のせいでちょっとガッカリさせられるものになってしまっているのですが、まあそれは今回だけの問題ではありません。これまでもそれに目を瞑りつつも楽しんできたのですが、それも私がファンタジー好きだからなのです。しかしファンタジー作品として見ても一級品というわけでもないのにここまでもてはやされることになったのは一体何のためだったのでしょうか。私は本が売れているのも実は映画のせいではないか、本と映画の相乗効果なのではないかと踏んでいますが、そんなことはどうでもいいですね。ここまで有名な、現代のファンタジーの代表的作品となってしまったら、ハリー・ポッターシリーズを読まずにファンタジー好きとは言えないでしょうから…