学校学校も社会の一部であるというだけのこと。

学校や教師に対して理不尽な要求を突きつける「モンスターペアレント」の存在とその呼び名はすっかり定着し、他にも「モンスターペイシェント」などの派生語を生み出していますが、話には聞くものの実際にそんな不条理な存在が現実の物とは私にはとても理解できません。幸いなことに私の身近なところにはおらず出会うことがないようですが、実際に学校の先生らを悩ませているといいますから実在するのでしょう。ちょっと前には給食費の不払いなども問題となりましたが、私のいる市内にも若干ながらそういう事例があると聞きました。

私の子供の頃まではそういうこともなかったようですが、1990年代後半から無理難題を押し付ける保護者が増えてきたのだそうです。この無理難題要求を「イチャモン」と称して研究してきた大阪大学大学院教授の小野田正利氏の著書「悲鳴をあげる学校」を読んでみましたが、まあ学校の先生も大変です。

この本では学校が今直面している実情を、数々の「イチャモン」の実例を紹介しながら伝えています。そして、この問題に対してどう対処したらよいのか、教職員側の対応だけでなく保護者側の歩み寄りも求める形で説いており、学校という小さな社会の問題ではなく、社会全体の問題として捉えなければならないのだとしています。また、一見「イチャモン」と思ってしまうようなクレームも、実は家庭における何らかの問題のシグナルである場合もあり、うまく対応することで話がこじれてしまうどころかより良い関係を築くきっかけにすらなり得る、というのはなるほどと思わされました。

しかし、「イチャモン」を突きつけるのは保護者には限られず、近隣住民が理不尽なクレームを突きつけるケースもあるのだそうで、こういう場合は全く不毛なやりとりになってしまいそうです。校庭の植木の枯れ葉に文句を言うなどはまだいい方で、枯れ葉にクレームが付いたからと枝を切り落としたら今度は「紅葉を楽しみにしていたのに」だとか、訳がわかりません。運動会の放送がうるさい、通学する子供の声がうるさい、などといったことは我慢すべきことなのではないのでしょうか。

まあ結局のところ、相手が下手に出ているからとつけあがる心の卑しい人間が増えているということなのでしょう。これは学校に限ったことではなく、病院や商店、企業に対しても同じような「モンスター某」がいるわけです。これらのタイプについてはこの本でも解決策は示されていませんが、打つ手はないものなのでしょうか。訴訟社会のアメリカでも訳のわからない訴えを起こしてニュースになることがたまにありますから、社会の中に一定の割合で不条理が存在することを甘んじて受け入れなければならないのでしょうか。