相合い傘どうせマスコミが騒ぐのも今だけでしょ?

フィレンツェのドゥオモとして有名な世界文化遺産でもあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に、岐阜市立女子短期大学の学生らが落書きをしたことが大きな問題とされたのをきっかけに、日本中のマスコミが色々な落書きの犯人捜しに奔走し、あちらこちらで落書きを見つけては大騒ぎしています。

発端となった落書きはイタリアに旅行で行ってきたある人が自分のブログに短大の学校名と個人名が入った落書きの写真を載せ、その通報を受けた短大側が過敏に反応してしまったために必要以上の騒ぎになってしまったのではないかと思います。わざわざ現地に学長が謝罪に訪れたり、厳重注意処分などということは本当に必要だったのでしょうか。処分については落書きそのものよりも、それが明るみに出たことによって大学の評判を貶めることになったということに対するものも多分にあるのかもしれませんが、これに続いて矢面に立つことになった京都産業大学の学生は2週間の停学、常磐大学高校の野球部監督は辞任に追い込まれるなど、私にはとても妥当な処分とは考えられません。

もちろん落書き自体はモラル的にも褒められたものではありませんし、私自身は一度も落書きをしたいなどと思ったことがありませんが、世界中どこの観光地に行っても世界各国の言語による落書きはあちらこちらに見られます。ましてや今回問題となった大聖堂の入口付近では落書き用にと油性ペンが売られていて、「ここに落書きをすると幸せになれる」などと言われているということですから、理性を保つ力の弱い人はついつい…というのもわからないではありません。

「日本人として恥ずかしい」などとことさら厳しく糾弾する人たちは本当にこれらの処分が妥当だと思っているのでしょうか。落書きについてはこれまでにもAAAというアイドルグループがアメリカで岩にスプレーで落書きした写真をブログに載せて騒ぎになったり、名古屋大学のサークルが鳥取砂丘に大きな落書きをして読売新聞に取り上げられたり、上越新幹線の車体に落書きされて運休させられたりと枚挙にいとまがないといった状況ですが、同じ「落書き」でもこれらの自己顕示欲によるものとはちょっと違うのではないでしょうか。どちらにしても私には理解できない行為なのですが、その人の人生を大きく狂わせるほどのものとは考えにくいものです。

またここぞとばかりに社会問題化するマスコミの動きも非常に気に入りません。私がここでこの問題を取り上げる気になったのは、今朝の朝刊を読んでいて「嵯峨嵐山の竹林で落書き相次ぐ」「錦帯橋『参上』など2カ所に落書き」「<落書き>天然記念物の鍾乳洞に数十カ所」とこれでもかとばかりに次から次へと取り上げられていたからなのですが、こんなことは今に始まったことではないのではないでしょうか。「ニュースバリュー」が出てきたと判断したから取り上げたと言うことなのでしょうが、こんな「ニュース」を必要としている人が一体どれだけいるというのでしょうか。旬の話題に飛びつくことばかり考えているようで、いつものことながらうんざりしてしまいます。

まあそうは言っても落書きというのは他人や公共の財産に傷を付け、その価値を毀損するものですから、してはならないことです。誰でも自分の家の壁に落書きされるのは嫌でしょう。「自分がされて嫌なことは人にもしない」–これは日本人の伝統的な道徳観ではないでしょうか。