マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか

マスゴミやっぱり自覚はないのかな…?

マスコミすなわちmass communicationというのは元来大衆(mass)のための情報伝達(communication)であるはずなのですが、現在日本で「マスコミ」といった場合の多くは新聞やテレビなどのマスメディアを指しているのではないかと思います。こうしたマスメディアというのは大衆を相手にはしていてもごく一方的に情報を流しているだけで、内容的にも大衆のことよりもスポンサーや自社の都合の方を重視しているように感じられることが多々あります。このようにマスメディアに対して不信感を持つ若者を中心とした人々がそれを揶揄して呼ぶ言葉が「マスゴミ」です。

私もマスメディアに対してはあまり好意を持っていない一人なのですが、人々がなぜマスメディアに不信感、というより嫌悪感に近いものを抱くようになってしまったのか、それを分析しているものなのかと思い、図書館で目に止まった「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか – 権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」という本を読んでみたのですが、残念ながらこれはちょっと期待外れでした。

著者の日隅一雄という人は新聞記者から弁護士になったという人なので、この本はあくまで記者など現場の人の視点で書かれているものなのです。序文からして

あなたもきっとマスコミに対して、「マスゴミ」という言葉を投げつけたくなったことがあるだろう。
初めて「マスゴミ」という言葉を目にしたとき、正直かなり不快感を感じたが、最近はこの言葉に慣れてしまったせいか、そう呼びたくなる気持ちもわからないではなくなった。

と始まる通り、著者はメディア側の立場の人なのです。そうでなければ「かなり不快感を感じ」たりはしないはずですよね。

結局この本で主張されているのは「現場の記者は頑張っているのに組織や制度が悪い」というだけで、自己反省の類のことは一切ありません。まあ、小さい文字で書かれている副題が「権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」と言うことですから、これに気付くのが遅れた私が悪いといえばそれまでではあるのですが。

しかし実際、なぜメディアが嫌われるのかというのはそういったことだけではないはずです。

もちろんすべての記者がそういう人ばかりだとは思いませんし、問題がないのが当たり前、悪い評判の方が広まりやすいということはわかります。しかし、立ち入り禁止の場所でもズカズカと入り込み、取材相手の感情は一切顧みずに強引なインタビューを行い、都合が悪くなるとここぞとばかりに「報道の自由」や「知る権利」を高々と掲げて自らは民衆のためにやっているのだと宣う…というようなことを見聞きしたのは一度や二度のことではありません。こういった問題については一切触れられておらず、「自分たちは頑張っているのに!」ということだけなのが非常に残念です。

現場を離れた人でさえこうなのですから、現役の人については推して知るべし…インターネットの普及により本来のマスコミュニケーションが発達してきた今、それを規制するばかりでなく報道のあり方を見直すべきところに来ているのではないでしょうか。まあ政治家や政府にとってはマスメディアの方がコントロールしやすいですから、日本ではなかなか難しいとは思いますが…

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